幼馴染みが旅立ち約1ヶ月が経ちました。
50歳での早逝。
思いもしませんでした。

9歳から一緒に育ち41年間。
宮崎の田舎町で兄弟のように育った5人のうちの中心。
子供の事から一緒に育った親友の思いがけない死は理解不能です。

私が上京して15年。
物理的に距離が離れてしまったこともあり
連絡も滅多に取ることもなく
日常に介入しないことが当たり前になっていました。

けれども、かけがえのない存在としてどこかで繋がっていて
だからして「いつだって会える」そう思っていて
もうこの世にいないなんて正直よく分かりません。

子供の頃ドッジボールをして遊び
毎日弁当の赤ウィンナーをもらい
物心がつき高校生にもなればやんちゃ三昧。

自分がバイクの免許を取れば決死の覚悟で2ケツで山越えし
サーフィンにハマれば海に通い詰め
夜な夜な飲み歩くような日々が20代前半まで続いておりました。

当時付き合っていたガールフレンドも
お互いに高校の同級生だったこともあり
その他の幼馴染みも巻き込み5~6人でツルんではよく飲み
「社会を遠巻きに土手であんパンを食う」
そんな日々を過ごしておりました。

そうして一見無為に過ごした時間の意味はとても大きい。
打算なんてなくてお互いの存在意義の確認のみ。
その切り口は鮮やかで人格形成にも大きな影響を及ぼす。
人を信じられるとか信じられないとか。
けれども今後誰かとそんな関係を築ける可能性は限りなく低い。
鋭敏で野心に溢れそれでいてどこかひ弱だったあの頃の感覚はもうないから。

でもそれでいい。
成長の過程で得られるものの引き換えに失うものもある。
あれはあれでしかないしもう一度というのも何か違う。
真空パックにして胸に収めておけばいい。
そう思っています。

2年の闘病に末に亡くなった親友は生きることを渇望し
子供たちの成長を見守ることを生きがいにその瞬間まで戦い抜き
「諦めない姿」を体現して見せました。

これからどう生きるのか。
親友が旅立ち改めて突きつけられることとなりましたが
その結論は難しくありません。

愛すべきを愛し転んでも立ち上がって前に進む。
生かしてもらっているのだから四の五の言わずにやる。
それだけなのです。

最後に・・・
伊隆。子供たちはお前が思うよりずっと強い。
奥さんもしっかり者で凄い人だ。
お前を見送るにあたり改めてそう感じた。
だから心配するな。
息子には「魚は手釣り焼き鳥は手刺し」それもきちんと伝える。
彼が20歳になったら乾杯しよう。
それまでゆるりと一杯やりながら待っといてくれ。
これからもよろしく。悪友よ。
魂はいつも共にある。

2007年12月 我ら32歳 熊本で後に奥さんとなる智恵さんと共に